言葉は感情を表現できるとても便利なものであるが、何も考えずに使っていると知らず知らずのうちに自分の本性を映し出していることに気づいていないことも少なくない。
期日を守れなかったり時間に遅れたり、嘘がめくれたり仕事でミスをしたりすると、
いや、違うんです!実は…
男性
と、自分の非を差し置いてその経緯を喋り出す人がいるが、これは余計に自分の立場を悪くするだけで、自分が思っているほど相手はその経緯がどうだったかには耳を貸さないものである。
自分に非があるときは先にその事実を認めないと信用を失う
人には都合の悪いことを隠そうとする習性がある。
素直に自分の非を認められない人や言い訳が先に立つ人、自分が原因であるにもかかわらずその責任を免れようとする人は、相手がその結果に迷惑しているときに、その結果を作った経緯を話そうとする。
例えば、誰かと待ち合わせをしているときに、約束の時間に遅れたとしよう。言い訳が先に立つ人の場合、遅刻をした人はその事実を変えることができないので、時間に遅れた経緯を相手に話して理解を得ようとするはずだ。
しかし、待たされた側からすると、
”約束の時間に来なかった”
という、この事実が引っ掛かっているわけで、寝坊であろうが渋滞であろうが事故であろうが、遅れた理由はそこまで重要ではない。
相手は変えられない事実に不満があるわけで、過ぎた過去に何を弁解しても言い訳にしかならない。
男性
あぁ、そうなん?それやったら仕方ないな…
と、言ってくれたとしても、それは建前でしかない。
約束の時間というのは双方同意のもとに決めた時間なので、当日どんな事情で邪魔が入ったとしても、個人的な都合は通用しないのが世の常である。
例え納得してくれたとしても、言わなくてもいいその言い訳が、返って相手の不安を大きくしたり、怒りを買ったりする原因になることもある。
自分に非があることを知りつつ言い訳をする人というのは、実は相手を納得させようとしているのではなく、”自分が納得したい”がために言い訳が先に立つのだ。
事実がはっきりしているときは言い訳をしない
そうは言っても、それぞれ事情を抱えて生きているのが人だ。約束の時間に遅れることもたまにはあるだろう。
そこで重要なのが、どういう言葉を使うかである。
何を言っても言い訳になることが前提として、それをいかに相手に快く受け取ってもらえるかが今後の付き合いに大きく関わってくる。
先ほどの時間に遅れた例でいうと、遅れた原因が事故渋滞だった場合、多くの人は遅れた原因を事故にする。遅れた原因を事故にする人は、遅刻の原因は「事故」だと言いたいわけだ。
これは、
もし渋滞に巻き込まれていなかったら時間どおりに到着できていた。
確実に間に合う時間に家を出たし、自分に非はない。
だから今回は仕方ない。
男性
と、遠回しに言っているのと同じ。これはダメである。
待たせた相手に遅れた事実を詫びる気持ちがまったく入っておらず、開き直っているようにすら聞こえる。
事故で遅れたのが事実なら、相手を待たせたことも事実。空を飛べるわけではないので、渋滞で遅れることは確かに仕方のないことかもしれない。しかし、相手は約束を守っている。
もっと余裕を持って出ていれば渋滞に巻き込まれなかったかもしれないし、他の道を選んでいれば約束の時間に間に合っていたかもしれない。
万が一を考慮していなかったヌルさが非なわけなので、ごちゃごちゃほざかずに、こういうときは余計な言葉を挟まず黙って謝るのが待たせた相手への礼儀である。
こういう場合は一切の原因を他に押しつけず、すべての原因が自分にある言い方をする。その潔い姿勢が、相手から許しをもらえる、もっとも快く受け入れてもらえるコツなのである。
すべての原因が自分にある言葉を選ぶ
事故渋滞に巻き込まれました。
間に合うと思っていた自分がヌルかったです。
時間が足りませんでした。
自分に計画性が無かったからです。
まだ新人なもので…。
すべて私の責任です。
2つの大きな違いは、責任の所在をどこに置いているかにある。
事故や期日に遅れたことを事実として報告するのはいいが、あくまで事実で止めておき、それを理由にすると相手の受け取り方も変わってくる。
相手の反応を気にして言えないときもあるかもしれないが、相手に迷惑をかけたときにその原因が自分にあることを知りながら責任逃れをしようとする発言が、相手をもっとも不快にさせてしまう。
また、嘘をついたり事実を誤魔化そうとするのは、相手を見下しているときに出る行動である。自分に都合が悪いから誤魔化そうとするし、バレないと思っているから嘘もつくわけである。
本当の意味でいい関係を築きたいと思う相手には、誤魔化しや嘘はもちろん、相手からどんな返しが来ても受けるぐらいの『覚悟ある言葉』を選ぶようにしよう。その覚悟と誠実な心が言葉に出たとき、相手は初めてその事実を忘れる準備に入るはずだ。
しょうもない言い訳や小細工をせず、自分が助かることよりも相手の気持ちをくみ取る心が言葉で見えたとき、人は人に『許す心』を持つものなのである。